ここにある。

2016年夏。乳癌になっちゃったよわたし。

ボーダーライン

熊さん。
見てる分にはカワイイけど、
ある日森の中、熊さんに出会ったら
わたし怖くて怖くて震えると思うんだ。
西野カナみたいに。
あ。西野カナは会えなくて震えてたのか。
わたしのばやい、会っちゃったら震える。
会っちゃったのが登山道で
人間慣れしてない野生の熊だったら
西野カナの23倍くらいは震えると思う。

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動物的本能。
「捕食されたくない!!」

でもね。
熊さんに出会ったら、歌のように
スタコラサッサッサーのサーと
逃げてはいけないんだよ。

まず、持っているものをおろして捨てましょう。
命を守るために荷物は諦めてください。
熊さんの「逃げるものを追う」という本能に火をつけないように
背を向けず、腕は動かさず、声も出さず、落ちついて、
ゆっくり、ゆっくりと逃げなくてはいけません。
その時、熊さんの…

…あ。もいっか。
乳癌ブログなのに上手に熊から逃げる方法とか書いてどうすんの。




少し前にインターネッツ
とある外国の乳癌患者さんが
「周囲の人に乳癌を乗り越えてほしいと言われたくない」
と語っておられるのを読んで、
それに賛同する方がまたえらい沢山おられるのを見て、
へ、へ~…え。なんで?(;´・ω・)
となったのでした。

いつも再発に怯えていて、
治療が終えても戸惑うばかりで
人生を楽しむ方法を忘れてしまった。
という感じのことを書いていた。

薬の副作用で体調がよくなく、
長い闘病で体力が落ちたりして
うまくいかないことが多くて
そんなふうに考えてしまうのかね?とも思うから
それを混乱と八つ当たりだと思えば、
心の働きとしてはわからないでもないけど、

でも少なくともわたしは
まず再発に関しては可能性はある、と認識はしていても
怯えて生活したりなんてしていない。

そして周囲の人に
「病気を乗り越えて」と言われても、
単純に どうもありがとうね!と思う。
多少的外れなセリフだったとしても
精一杯励まそうとしてくれている気持ちが伝わるから
わたしのためにありがとう、と涙が出る思い。

そしてこの方は「わたしたち癌患者は」と
代表のように語る。
いや、みんながそうじゃないと思うよ。
賛同してる人は確かにたくさんいたけどみんなじゃない。
わたしは違うよ、と明らかな反発を覚えたよ。

ふと思ったんだよ。
果たして病気する前はこの方、
こんな性格だったの?と。
(いや、知らんけど。知らんけどもね。)
誰かお友達や家族がが病気になった時
ピュアな気持ちで相手を思い、
励ましたことはなかったのかな?

あの時の自分は自惚れていた、
本人が希望しないセリフでもって
励まそうとしたことは間違いだった、
デリカシーがなかった、
と、思ったんだろうかね?
だとしたら、世知辛いな。


患者や患者家族の心に寄り添うつもりのない
お医者さんの事務的な話し方とか
面倒がって突き放すような話し方とかはたまに聞くけど、
そういうんではないからね。
相手に寄り添い、励まそうとする人の言葉だからね。
それを「そんなこと言われたくない」と思うなんてことは、
うーーーん。やはり健全でないよ。


この方、癌治療と並行して心療内科にも通うとか
これからは通ってみるとか
そういうのも必要じゃないかと思ったんだ。

母も持病の循環器系の発作が大元の原因で
去年の今頃上に書いたような感じになってて、
もうどんなふうに接してあげても
「めんどくさい病人様」になっちゃってたことがあるんだけど、
ある日母の主治医が見兼ねて
心療内科を紹介してくれ、母は救われたのでした。
今は以前より慎重にはしてるけど
ほぼほぼ元通りの母になって暮らしているよ。


それにしてもね。
このコラム?を読み進めるうちに
ジワリと思ったことは、
(また身も蓋もないこと書くけど、)
超大雑把に言えば、病気しようがしまいが
治ろうが再発しようが
みんな、みーーーんな、遅かれ早かれ
100%の確率で死んでしまう、
ということはお忘れではないかな?
ということだった。

ちょっとややこしくなるから
ずっと生きておられるデーモン小暮閣下のことはコッチに置いとくけど。

もう、癌になったアナタだけが、わたしだけが
特別に「死ぬ人」と決められた不幸な存在、
というワケではない。

あのコラム?を書いていたのは海外の方らしいから
当てはまらないかもしれないが
日本国内のことだけで言えば、、、

統計では日本人の2人に1人が癌を経験する。
3人に1人が癌で死ぬ。
そして全員が何らかの原因で必ず死ぬ。

↑最後のは全人類にあてはまるよ。
デーモン小暮閣下以外のね。
(人類でなしにデーモンだから

そして女性のうちの12人に1人が乳癌になる。
今乳癌患者でない人が
これから乳癌にかかっちゃうことだってあるかもしれないし、
「癌になったことのない人にはわからない」
などと言うもんじゃないと思うんだ。

相手の方がいつか癌にかかっちゃった時
「やっとあの時のわたしの気持ちがわかった?」と言うの?
言わなくても、そう思うの?
そんなの、なんかいろいろ寒すぎるね。

そもそも、世の中のことや人生を、
癌患者と癌患者でない人とに分けて語るのは違うと思う。
病気になったらダークサイド、
ダークサイドに堕ちた人たち同士でなければ
気持ちはわからない、というものではない。
ちょっと囚われすぎじゃないかと思う。
そんなに特別なことじゃない。

そしてね。
死ぬのが怖くて生きることができないのは
人生がもったいないよね。
せっかく治療までしたのにね。

やるべき事をやったなら
あとはもう、笑って生きていいんだよ。
本来そういうものでしょ。
そうなるための手術や治療だったハズ。

それなのにそうはできずに怯えて、
不信になって、いつも頭から離れず
疑いながら生きるって、辛かろうね。


あらゆる治療をしても再発してしまう人はいるから、
わたしだって本当は絶対大丈夫!とは思わないけど、
大丈夫になるように頑張ってきて、
根治を目指して信じて生きている。

もし再発してしまったんだとしても、
そこからまたやるべきことをやるだけ。
自分の命に最善を尽くして
死ぬまで精一杯生きるだけ。


ところで冒頭で
「熊に出会った時死にたくない!!と思う」
と書いた。
いずれみんな死ぬと知っているし、
そしてそんなに長生きしていたくもないわたしだけど、
痛いのはイヤだから、熊に遭遇したのがどんな高齢であったとしても
1度は逃げようとすると思う。
だって熊に食われたらちょー痛そうだもんね。

だから、この辺はわたしの中の
ボーダーラインちゅーかね。
すごい勝手なこと書いてると思うけど。
熊に会ったら逃げようなどと思わず
自然の一部に還ろう、潔く熊に食われよう、と
ボーダーラインを引いている人もいるかもしれないね。
そういう人から見たらわたしは
文字通りの往生際の悪い人間だろうな。


つまりね。
ボーダーラインは各々の中にしかない
言わば自分勝手なマイルール。

だから、今日のこのクッソ長いブログを
書くきっかけとなったコラム?を書いていた方も、
心の中にボーダーラインを決めていて、
「いつであっても癌死はしたくない」と思っているのだとしたら…
あぁ、そうか、いつまでも健康で、
最後は老衰で眠るように、という理想があったとしたら…
乳癌にかかっちゃった、ということは
それだけで大きな誤算になるのかな。と。

それに、今後も長い年月、守るべきものがあったり
見守らねばならないものがある人は
死んでる場合ではないから、
リアルに死を予感させるものがチラついた時
怖くなるのは当たり前なのか。
とも思ったよ。

そうか。
わたしとは立場が違うんだな。

散々いろいろ書いてきて「立場の違い」とか
こんな結論とは自分でもちょっとアレだな~と思うけど。

でもね。でも。
せっかく生まれてきたのなら、
せっかく一度は命拾いをしたのなら、
本当の意味で生きた方がいいと思う。
病気に人生まで乗っ取られないで欲しいな。
どうせなら笑顔で暮らしていって欲しいな。
と思うのでした。

そういう気持ちが
「乳癌を乗り越えてほしい」
というセリフになり交わされたんじゃなかろうかね。

この方には是非とも心療内科に行ってみてほしいな、
と思ったのでした。

おわり