ここにある。

2016年夏。乳癌になっちゃったよわたし。

イヤすぎて…秋 ~2016~

2016年 10月
(また時系列が激しくおかしくなっちゃったな)


イヤでイヤでしょうがないもの。
それはホルモン治療。

針生検の段階でルミナールタイプだということはわかっていたから
術後にはホルモン治療をすることはわかっていたのだけど
コレがどうにもこうにもイヤでね。。。

わたし癌かもな…と思ってた時も
検査の時も手術の時も
やるべきことなら仕方ないと思ってたし
確定診断後はむしろ
いろいろ起きる初めてのことを楽しんでたかも。
(心配をかけていた家族や友達には申し訳ないけど…)

でももうほんとうに、
ホルモン治療がイヤ過ぎて
グダグダになりながら夫に訴えた。

「ホルモン治療やりたくないよぉぉぉぅぅぉぁぁあああ」

やりたくなさ過ぎて泣いた。
癌になって初めて泣いたかも。
唯一泣いたことだよ今のとこ。



なんで私がそんなにホルモン治療を
やりたくないかを説明する前に
ホルモン治療ってなんぞや?ってことを書いておかねばならない。

手術で局所的に大元の癌を切除するけど、
全身に飛んでいるかもしれない
微小な癌細胞に手を打たないとならない。
わたしの癌は女性ホルモンを餌にして
成長してく性質がある。
だから兵糧攻めにして、体のどこかに潜んでいるかもしれない癌細胞をブッコロス☆彡.。
という治療をするワケだ。


餌である女性ホルモンを無効化させる。
1日に1回の飲み薬でそのようにします。
つまり薬を飲んで、体をむりやり更年期状態にするという。

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それで閉経してしまうか否かは
今のところわたしにはわからない。
(そこら辺のとこ、ホルモン治療がイヤすぎてあんまり一生懸命勉強してない
※あくまで素人のブログなので、
なにごとも いい・悪いは別として
勘違いして書いてる箇所もあるだろうことはご理解ください。)


更年期障害
コレがホルモン治療をイヤがる最たる理由。

なんでかって言ったら、
更年期の母がとてもつらそうだったんだ。
ピークは過ぎたと言っても
65にもなった今でも、多少の不調は続いているという。

急にカーッと燃えるように暑くなり
汗が大量に流れる。(ホットフラッシュ)

めまいがする。

動機がする。

頭が痛い。

体が重い。

憂鬱になる。

イライラが止まらない。

些細なことにカッとなってしまう。


こんなところらしい。

そして!!
はい!!
つまり私がどうにもこうにも!!
イヤでたまらないのが!!
下の3つ!!!

上のいくつかは、
もう服装を工夫したり、タオル持ち歩くとか
ムリをしないように気をつけるとか
時々休むようにするとか
そういうことでやり過ごすことはできそうなんだよね。

でも下の3つはメンタルなことだもんよ。。。

今ですら生理周期に合わせて
月に数日だけなんだけど
ムショーにイライラしたりすることがあって、
カッ!!っとなったら
夫に八つ当たりをしてしまいそうになることがある。

でも実際に言っちゃったら
夫だって人間だもの(byみつを)。
売り言葉に買い言葉になったり
家庭内は冷えた空気が流れる。
お互いに悲しい気持ちになる。

それが今は月に数日だから
その時だけガマンしてガマンして、
イライラしても表現しないようにしておくし
カッ!!となっても
「いつもならカッとしてないこんなこと」
と自分にいい聞かせて
やはりコレもガマンで抑えて
その時が通り過ぎるのを待っている。
でももうそのストレスがハンパない。
数日だからガマンできるようなもんだけど。

でもガマンもできずに言っちゃうことあるんだよ。
その後は悲惨だし 後悔と自己嫌悪で
もうヒドいんだ。。。

でも。
でも。
更年期障害に突入したら
こういうのが毎日なのか!!

「イヤすぎる!!!!!!!!
辛すぎる!!!!!!!!
癌細胞がシヌ前にわたしの精神が、そして家庭が崩壊します!!!!!!!!」

そして健康体のノーマル更年期障害ならば
女性ホルモンが減っちゃってることで
体が追いつかないのが辛いワケで。
だから辛くなっちゃったら、
心身ともにもう少し楽に過ごせるようにと
急激に失われつつある女性ホルモンを補うために豆乳を飲んだり、
イソフラボンサプリメントをとってみたり、
病院なら女性ホルモンを補うような
お薬を出してもらえたりとかするらしいんだけど、

乳癌治療では兵糧攻め(女性ホルモン根絶やし作戦)だから
途中で女性ホルモンを補ったりするようなことはしちゃいけないんだってさ。
途中で治療をやめたりもできない。

つまり救いもなく辛いのみ!!
イヤーーーーー!!!!

体の辛いのはわたし何でも頑張れる。
痛いのもだるいのも乗り越えられる。
でも、心が健全でいられないのだけは
どうしてもどうしてもどうしても許せない。
そんなのちっとも幸せじゃない。


そしてわたし、いっとき勘違いしてて
ホルモン治療 or 抗がん剤
どちらか選べるもんなんだと思ってて、
副作用が強くても抗がん剤を選びます!
ホルモン治療は絶対イヤ!とか言ってた。

実際は選べない。
はい、あなたに合った治療はコレなんで、
やりましょうね~と言われたら従うのみ。
ホルモン治療は必須らしい。

あとはそこに抗がん剤をプラスするかしないか。
それは術中に切除された組織の病理結果からわかるって。(2016年 12月末)


上に書いたようなことを
全て泣きながら夫に語り、
夫も ホルモン変化とは
そんなに辛いものなのかと理解してくれた。

これまでほとんど1人でやってきたニャンコの世話を
これからは夫も分担してやってくれることになったよ。

※それぞれ違う病気をかかえた老ニャンコだから
世話がほんとうにほんとうに大変なのです。
それを手伝ってもらえないことの心の負担が今まですごかった。

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以来、夫は有言実行してくれているよ。

コレを書いている2017年1月は、
ニャンコの世話だけではなく
家の中のことも頼まれなくともチョコチョコやってくれたり
無口な人だったのがよく話をしてくれるよくになったり。

50を過ぎてからこういうことを変えるのは
ほんとうに大変なことだと思うんだけど
夫はわたしのために変わってくれた。

月に数日チョーガマンしながらやり過ごしていた
わたしのイライラは激減して、
心穏やかに過ごすことができているよ。

以前より、夫婦の関係はいいと思う。
仲良しから、とても仲良しになれたと思う。
夫には、心から感謝しているよ。
こんなにいい人は他にいない。
結婚してよかったな~としみじみ思う。

怪我の功名。
病気の功名。

ホルモン治療への拒否反応は
前よりだいぶ薄らいだ。

術後の服装エアリー

元々わたし、逆流性食道炎
5年くらい前からブラジャーができなくなった。

だからパッド入りのキャミソール着たり、
ホルターネックで、寄せない・上げない・補正しない、の
三角お家ブラみたいのをつけたりして過ごしてた。

そこへ、もっと楽な商品あるよ!と。
九州のお友達 うりこさんが
プレゼントしてくれたもの。

エアリートップ。

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コレさいこー!
キャミソールの中に入れとくだけ。
不思議と落ちない。
ある程度のフィット感あるキャミソールならね。

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つけ心地はノーブラみたいなのに
ブラジャーつけてるように見えちゃう。

どれくらいノーブラ感覚かっていうと、
エアリートップつけてると思い込んで
ノーブラで仕事行っちゃったことがあるくらいにノーブラなつけ心地。
しかもそれは一度きりの話というワケではない。
何度かやっちまった。
エアリートップのつけ心地がノーブラ並であるのと同時に
わたし自身がウッカリ者だからかもしれないが。

もう電車乗っちゃってから
今リアルにノーブラじゃねぇかと
気づいた時のわたしの気持ち、
わかる?
ねぇわかる?

……わかんないか。
でもいいの、わかんなくてそんなもの。



そんなワケで
ブラジャーつけられない派のわたしには
エアリートップは素晴らしい商品だよ。
これからも使い続ける。

うりこさん
あらためましてありがとう!ヾ(●´∇`●)ノ


…しかしながらね。
乳癌手術のあとはわたし、
しばらくはノーブラだった。
今度はウッカリでなしに。
あえての。

ピチッとくっつく服が、しばらく着られなかった。
だからエアリートップもつけられなかった。

エアリートップよりももっとエアリーでなくては。
やっぱり、ガボガボの服がいい。
そんなワケで、夫に借りた半袖のTシャツを素肌に着て、
下にはお友達からいただいたモコモコの腹巻き。
冷えないようにね。
そして腕には夏の紫外線カット用のアームウォーマーで
腕が寒いのをガード、というカッコで過ごした。

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…しかし12月にこんなスカスカファッションは寒いよ正直。
でもコレが一番楽なのだから仕方あるまいよね。
術後2週間はこんなでした。

この上からフワフワモコモコした
上着でも羽織っちゃえば、
まぁノーブラだなんて気づかれもしないでしょう。

手術したの、冬でよかったかもな。
こういう意味で同じように
手術は夏でよかった、と
乳癌手術を受けた別の方が
どこかのブログで書いていて、
人それぞれなんだね、と思った。

どういう生活スタイルで、
どんな性格か、とか
みんなみんな違うもんね。

コレを書いている術後一ヶ月半の今。
服装はもう元通り!
あったかいかっこもできてるよ。
エアリートップもつけてます。

…ほんとに つけてるよな?(ゴソゴソ

ムヨムヨ

術後2日くらいは、胸というより
脇の方の背中寄りのところがムヨムヨと腫れていた。
コレ、別に触っても痛くはない。

そして3日目にはそのムヨムヨは消えてゆき、
気づいたら新たなムヨムヨが腰にできていた。

まるで腰の上に肉まんをポンと乗っけたみたいになってる。
すごい不自然。
何だコレ。
肉まんの地縛霊か何かですか。

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昨日まで背中の方にあったやつ?
腫れなの?水分?
それともおっぱい出身の脂肪?

なんかよくわからない。


そしてね。
傷口は、服が擦れればチクチク痛いけど、
動くには痛みはそんなに気にならないと思っていた。
でも時々「今の自分の行動」を咄嗟に観察してみると、
どうも無意識に手術した方の腕の動きを小さくしているようだった。

確かに思いきり腕を天に向かって
突き上げるような伸ばし方すると
皮膚つづきでなぜか肋骨の方の神経が
引っ張られるような痛みがしばしあったから
(これも日を追うごとに薄らぎやがて消えた)
腕を上げて、まったくの無痛というワケではなかったのね。

たったの3、4日だけだけど、
あんまり動かさないでいたから。
ここに脂肪がついたんだ。
きっとそうだ。

もう、背中の方にあったムヨムヨのことは忘れることにした。
アレが何だったのか?
新たについたこの肉まんの出身地は?
そんな不確かなことをつきつめるより大事なのは、
明らかに左右非対称になっちゃってる
この体の形を元通りにすることだもんね。
(おっぱいの左右非対称は治せないけど


それに、忘れちゃいけない。
手術前になぜなのかわたし4kgも太ってた。

ひと月後にはホルモン治療も始まるだろう。
ホルモン治療をすると体重管理がとても難しいと聞く。
5kgなんてあっという間に太るってさ。

今が元々から+4kgなら、
そこに+5kg=9kg増!
ヤバすぎる。
それはさすがにヤバすぎる。

ダイエットするなら今だわ!
というワケでとりあえず元の体重に戻そうと思う。

でも特にいつもと何か違うことをするワケでもなく、
ほんの少し、ご飯の量を少なくしてみた。
腹八分目。

今まで食べ過ぎてたんだなきっとな。
こないだも寿司屋で12皿とか食べちゃったもんな。

…嘘つきました。
14皿食べました。
いや、15だったかな。。。
その後 蕎麦でも食べようかね?
とか言ってました。はい。


あとね。
わが家 いつもテレビがついていて、
ラジオ代わりにつけっぱなし。
(ラジオ電波の入りが悪いの。)
そのテレビも、余程のことがない限り
チャンネルはいつもNHKなんだよね。

NHKの平日の昼間には2回ほど、
「みんなの体操」というのやってるんだけど。
コレが始まったら、必ずやると決めて毎日実行。

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でも普通の「みんなの体操」では
体への負荷が足りないんだよね。
普通の「みんなの体操」は、
日々の健康を保つためのものでしょ?

私は今、この腰に乗っかってる肉まんを
取り去るために「みんなの体操」やってんだからよぉ!
甘っちょろいことで満足してらんねぇんだよぉ!
(よもや誰のモノマネかはわからないけど誰かのモノマネのつもりで


…というワケで、ひとつひとつの体操の動きに
激しく余計な動きをプラスして運動量を3倍にする
名づけるとすれば「みんなの体操ハイパー」を実行。
体操がが終わる頃には額にうっすら汗がにじみ、
息が弾むくらいの体操を毎日続けた。
ハァハァ言いながら
体操のお姉さんがたと一緒に手を振っておしまい。

もう、それだけ。

でも的確でしょ?
摂取カロリーを減らして
消費カロリーを増やす。
コレでいいんでしょ?ダイエットって。


そしてすぐに変化がわかるように、
安い鏡を買ってきて、浴室に設置した。
洗い場で座った時、自分の首から下が映る程度の大きさの鏡。
ほんとは立ち上がっても見えるような
長細いの欲しかったけど
リフォームレベルになるからやめた。

そしてその鏡で毎日自分のスッポンポンを見て、
あ、昨日より肉まん膨れてる。
あ、昨日より具が減ってる。
と見比べた。

あと、体重計は毎日乗ることにした。

そんなこんなで退院してから3週間後には
元の体重まであと600gくらいかな~
という程度まで戻っていた。

それにしたがって、ムヨムヨした肉まんの具だけは成仏したかのように消え、
外の皮だけまだちょっと残ってる、くらいになった。

最後の600gがなかなか落ちないんだけど、
まぁ月ごとの体調にもよるんだよ。
女だし。
ちょうど太りやすい時期に入ったところを
ここまで落としたんだからよしとしよう。
ストイックにやり過ぎるのは
性格的にムリだし続かない原因になるから、
現状維持くらいにとどめて。
許容範囲内で詰めは甘めにしておくよ。

これからも、気をつけるよ。

退院の日

2016年11月29日。退院日!

昨日の手術中からよく眠っちゃって
朝5時には目が覚めていたわたし。
こっそり部屋を抜け出して院内探検 。

亀、見に行こう。と思ったら。
亀寝てました。
しかも寒いからマットの下に潜っちゃって
姿も見えない。
すごすご病室に帰って布団の中でインターネッツして過ごした。

向かいのおばあちゃんはイビキかいて寝てる。
やがて起床時間になって電気をつけに看護師さんが回ってきた。
「よく眠れましたか?」の問いかけに
「うーん… あんまり…」とか答えてる向かいのおばあちゃん。
一晩中イビキかいて寝てたと思うけど。


さて。
7時になってA先生の回診。
おはようございます。


腕は上がりますか?

上がります。

耳に付くまで上がりますか?

上がります。

喉の痛みはどうですか?

抗生剤の点滴を昨日から入れてもらって
喉の炎症も治まってきたみたいです。

それはよかったですね。
退院時に喉のお薬は出しますか?

うーん。
この分なら大丈夫そうなので、お薬はいいです。


そして先生は傷口を診て、
細いテープを取り出し ちぎっては貼り、ちぎっては貼り。
まぁ言ってもそこはメスで切ったところだから
ペタリ、ペタリとされるたびに
あ。
あ。
あいた。
あ。
あいた。
となる。

しかし結構厚く貼るもんなんだな。
テープが重なって塊みたいになってるよ。

自然に剥がれるまで
このテープはこのままにしておいてくださいて。
かぶれを起こすから、3日経ったら防水テープだけ剥がしてください。
てことだった。

動きの制限は何もありません。
何をしても構いませんよ。

先生ほんとうにお世話になりました。
次にお会いするのは年末ですね。
ベッドの上から半裸のままでなんですが、
本当にどうもありがとうございました。

A先生とはここでさようなら。
先生お元気でね。


さて。
今朝はゴハンも出てくるよ。

38時間ぶりだからお粥だろうな、
と思ったら普通食だった。
バンザイ!ヾ(●´∇`●)ノ

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点滴の針も抜いてもらって、着替えて待つよ。
退院の時を。
夫が迎えに来るのを。

ただ、さっきまでガボガボの病院着だったんだけど
帰り用に準備してたのは
普段よく着てる 体にフィットしたカットソー。
やっぱ直接当たるのは、ちょっとヒリヒリチクチク痛かった。
服選び失敗したかな。


あと、先生に貼ってもらったテープは
当たり前なんだけど腕を上げながら貼ってもらったもので、
腕が上がっていればヨレもなく真っ直ぐなんだけど、
腕を下ろすとテープの塊がヨレて
皮膚の表面を曲げる。
ちょっと痛い。

というわけで、こんな。
こんなカッコで歩くとあんまり痛くないことを発見。
上着も袖を通さない方が痛くないみたい。

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気取って歩いているわけではありません。



要らないかな…とも思ったけど、
念のための痛み止めを2週間分もらって
迎えにきてくれた夫の車に乗るよ。

サラバ!K病院!
ほんとうにお世話になりました!
また来月!

回転寿司食べて帰ろう♡
退院祝いだね♡(食いすぎ♡

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家に帰ったら、この数日分の洗い物を
洗濯機にぶっ込む!
夫もいろいろ手伝ってくれるけど、
洗い終えたものは自分で干せる。

手術翌日にこんなに動けるなんてね。

米袋運んだりや布団を干したりなんかは
やろうとは思わないけど
だいたいのことは出来ちゃうぞ。


そして。
ニャンコがさ。
座ってたりすると「おい。」「おいったら。」
と。

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なんだよ、白いの。
大丈夫だよ、もうどこも行きゃしないから。
でも頼むからさ、
もうあんまり夜中起こさないで。
あと、おっぱい 痛いから寝てるとこ乗らないでね。

…と言い聞かせるも、
そんなことは一切守られない約束であった。(白目

手術当日(3)夢うつつ

2016年11月28日 手術当日のつづき!

術後数時間。

気づけば陽も傾きはじめてた。
家で留守番してるニャンコたちが心配だから
夫には家に帰ってもらったよ。

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看護師さんが来て「何か飲みます?」て。
お茶を飲みたいんですけど、
いかんせんマグカップが小さくて…と伝えたら、
700 mlくらい入りそうな病院で貸してる容器にお茶をいれてきてくれたよ。
朝から水関係は飲んでないんでとても美味しかった。

まだ手術着だったから、
点滴がついたままの着替えを看護師さんが手伝ってくれた。
この時初めて術後のおっぱいの全貌をみた。

乳輪横が真っ青になってる。
どこぞのなんとか星人の血みたいに青い。
癌のあった場所はガーゼとテープで覆われてる。
でも、肉がだいぶ減ってるのがわかる。 この時の感覚としては
「あ、おっぱい3分の1くらい なくなっちゃったんだな」
という感じだった。
乳房温存手術と言っても、結構そげてしまうもんだな、と。
まぁ、癌だけクリッと小さく取るわけではなくて、
細胞レベルで癌の取り残しをしないために
充分なマージンをつけるからであって。


…順を追って書きたかったんだけど、
温存手術にしようか、全摘にしようか迷っている人が
もしもこのサイトにたどり着いた時、
そんなになるなら温存やめて全摘するわ!と決めちゃうような、
誤解があったら困るんで先に書いちゃうとね。

わたしの癌は、エコーで見たら1cm未満のしこりでした。
もうひとつ並んであったものは5mm以下だと思う。

手術直後は乳房の3分の1くらいが
なくなったような感じに思えた。

術後1週間後に見てみたら、
あ、3分の1は大袈裟だったかも。
4分の1がなくなったくらいか。と思った。
この時、まだほっぺたをすぼませたみたいな形になっていた。

2週間後にはすぼまっていたところもだいぶ馴染んで、
外側が平らになれてきた。

3週間後には 平らは平らだけど、もう少し自然な平らに。
徐々に馴染んできてる。

4週間後には、外側の丸みが
若干なくなったのかな、くらいで
真正面からパッと見ただけでは、
ほとんどの人は気づかないレベルくらいになってた。

人間の形って、元に戻ろうとするのかな。
よくわかんないけど。
なくなったところ、切りとられて凹んだままってことはないみたい。
ちゃんと肉が浮いてくる。
ちゃんと馴染むんだな。

…というコト↑だけは
時系列を無視して先に書いちゃおうと思います。


夫が言ってた。
術後 A先生が夫に 切除したものを見せてくれたよ、と。
どんなだったか訊くと、
ザクロのような…筋子のような…と言ってた。
結構大きいと思った、そうな。

ザクロや筋子だなんて。
プリッと新鮮でおいしそう、ということでいいのかな?
わたしも実物見たかった。


ちょっと脱線しちゃったけど、
手術着から通常の病院着への着替えが終わると、看護師さんが言う。
「トイレに行ってみますか?
術後4時間は経っているんで歩行可能です。」

体を起こしてみたけどダメだった。
吐き気がしちゃって。
もう1度試して見たけど、やっぱり気のせいではなかった。
麻酔の副作用だってさ。

「今 頑張って起きた方が
吐き気も治りやすいですか?」

「いいえ、ムリはせず安静にしていた方がいいです。」

じゃ もう少し休んでおこうかな。
トイレだってそんなに行きたいワケではない。

もう、このあたりの時間経過がよく思い出せないんだよね。
やっぱり麻酔のせいで朦朧としてたのかも。
よく効いちゃったんだな。

次に看護師さんが来てくれたとき
トイレまでの歩行再挑戦。
体を起こしたら、吐き気もだいぶ落ち着いてたよ。
点滴をひきひきトイレへ。

「あ~ まだちょっと気持ち悪いかも…
歩けないほどではないけど」
と言うと看護師さんはこたえる。
「1度吐いてしまえば楽になると思いますけどね。」
なんか刑事の取り調べみたいなセリフですね。
まだ続いていたのかなベタドラマ
カツ丼が食べたいですわたし。

吐けばスッキリしちゃうのかもだけど、
昨日の晩から何も食べてないのに
吐くものなんかないし。
それでも吐こうとえづいたら傷口痛そう。
吐くのはやめた。

とにかくトイレへ。
…ビックリした。
用を足して振り向いたら、置いてないハズなのに、
ブルーレットおくだけ みたいな色の水が溜まってた。
わたし、真っ青なチッコが出たらしい。
ドン引き。

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私が受けた手術ね、
乳房部分切所と、センチネルリンパ節生検です。

センチネルリンパ節生検というのは、
癌細胞がリンパ腺に転位していないか、
乳管に青い色素を入れて簡易的な検査をするというもの。
簡易的と言っても、脇のところ、ちょっと切るんだけどさ。

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癌細胞はその色素に反応して染まる。
染まらなければ転移なし。
というね。
わたしは転移はしていなかった模様。
本当によかった。

その、おっぱいの先っちょから入れた色素が
時間を掛けて体の中を通り抜け、
チッコとなり、今まさに体外に出されたというワケだね。
ブルーレット置くだけ みたいになって。
人間の体ってそんな単純なものなのかと衝撃を受けたよ。

とにかく歩くことはできた。
もう次のトイレはひとりで大丈夫。
お茶も飲めてる。
点滴を外すことになったよ。
でもまた明日、抗生剤を入れるから針は刺しっぱなし。

そして、この日の夕飯も抜き…。
ナンデ。
お茶飲めたし。
歩けたし。
お腹すいてるし。
カツ丼食べたい。
ドシテ。

でもなんかやっぱりそれが決まりらしくて
完全に丸1日は絶食だってさ。チェッ


夜。
A先生が様子を見にきてくれた。
「どうですか?」

どうもこうもないです、サッパリしました!
さっきまで吐き気してたけどよくなりました。

傷の痛みはどうですか?
喉の痛みはどうですか?

そういえば 喉、今はあんまり痛くないです。
胸の痛みは…
傷口は何もしてなければ痛くないんですけど、
動くとちょっぴり痛いかな。
でも、青くなってるところが痛いです。
乳輪とその周辺。

痛み止めが必要ですか?

薬を飲むほどではないです。

先生は帰っていった。
どこに帰ったんだろう?
家じゃなさそうだな。
まだお仕事がいろいろありそうな雰囲気だった。
忙しそう。
だのにチョイチョイ様子を見にきてくれてありがとございます。

その日はまたそのまま眠った。
今度は朝になるまで眠った。
起きてるとお腹すいてきちゃうから
眠れた方がありがたかったんだけどね。


後から知ったんだけど、
センチネルリンパ節生検のための色素注入は、
他の病院だと全身麻酔をやる前の意識があるうちに
局所麻酔で事前に入れとくのが主流みたいね。
でも、それって 麻酔してても結構痛いんだとか。
でもわたしの場合、全身麻酔ですっかり眠っちゃってからやってくれたんで、
余計な痛みを感じることもなかったんだよね。

そして術後にはすぐに、
痛み止めの座薬を入れてくれたという。

ヤダ照れる(*ノдノ)
パンツはおろしてから入れたんでしょうか?
それとも脇から差し込んだんでしょうか?
そして一体誰が?

そんな疑問はあったけれど、
痛いこと、恥ずかしいことは
全部麻酔が効いてるうちにやってくれた
というせっかくの優しさを受け止めるために
訊くことはしなかったよ。


この日のこと、今思い出しても
どうもハッキリしなかったり
時間の経過が一番よくわからないんだけど、
おぼろげで、フワフワしてて、夢うつつ。
それでも身の回りのことで困ることは何もなく。
看護師さんの優しさがほんとうに嬉しかった。

世の中こんなにハードに働いておきながら
お仕事とはいえ 他人にもこんなに優しくできるって
忙しいとついイライラしてくるわたしだから、
深々と頭が下がる思いだったよ。

お医者さんてスゴイな。
看護師さんてスゴイな。

手術当日(2)ベタドラマ

2016年11月28日 手術当日つづき!

手術着に着替えて待ってると
10時過ぎ、看護師さんが迎えにきてくれたよ。

点滴を引き引き手術室へ歩いてゆきます。
付き添いの夫も途中まで一緒。
もし 術中に「やはり全摘が望ましい」などと
予定を超えた事態に陥り決断を迫られたら
そうしてくれと 麻酔下にいる妻に代わって先生に伝えておくれと願いしておいたよ。
入口で夫とは一時バイバイ

夫、さみしそう。
大丈夫。妻はすぐもどってくるよ。
そこら辺プラプラしてきたらいい。
そしたらあっという間。


手術室スタッフさんへとバトンされるわたし。
名前や生年月日を確認。

その後手術帽って言うんですかね。
ほら、薄いブルーの給食当番帽みたいなやつ。
あれを被せてもらって、更に奥へ。



こちらへどうぞ。
と通された部屋には手術台。

Σ(゚∀゚)わー!ドラマみたい!
広い部屋の真ん中にベッドがひとつ。
医療ドラマみたい!
ちょっとテンション上がってきちゃった。

結構高い位置にあるので
手を添えられながらそのベッドの上へ。


さてさて。
スタッフさん4、5人いたろうか。
粛々と そして淡々と わたしを取り囲み準備を進める。

このスタッフさんたちにとっては、
この医療ドラマみたいなところが「いつもの職場」なのね。
カッコイイわ。とても。


そして頭の上の方から
「こんにちは 麻酔科の〇〇です。
今から腕にお薬流しますね。」て。

そうなの、ここにいる方々、
わたしには みんなはじめまして。
でも、みんなマスクしてる。
目元しかわからない。
絶対街ですれ違ってもわからない。
こんなにお世話になっているのに、素顔も知らない。
SNSみたいだね☆


そして。
その、はじめましての麻酔科の先生ちゅーたら
なんか無口そうなオッサンをイメージしていたのだけど若い女のコだった。

高校球児はみんなお兄さんだと思ったら
いつの間にか年下になり。
お相撲さんはみんな年上だと思ったら
いつの間にか年下になり。
ついには病院の先生までもが
わたしより年下になるというのですか。
エラいこっちゃ。
次は誰が年下になってゆくのかな。(遠い目


さっきまで点滴を流してたチューブに
何らかの液体がサラーと流された。
麻酔科の先生に「どうですか?」と訊かれて
「冷たいのが入ってきた~って感じです」
と答えるわたし。

…いいのだろうか、この答えで。

「あ…ちょっと眠くなってきました…」
とか答えるのが正解だろうか。
でも眠くはならなかった。

ということは。
もしかするとコレは うまくいくかもしれない。

そう。
わたしには野望があった。
それは「この人麻酔が効きません!」と
麻酔科の先生を慌てさせるという野望。

何のためなのかはきかないで。
わたしにだってそんなのわかんないんだから。
ただそんな野望が胸の中で静かにメラメラと燃え上がっていた。

20代の頃別件で手術を受けた時、
まんまと思惑通りに眠らされてしまったからね。
今回こそは絶対に 伏し目がちに
「なんか…効きません」と言って
麻酔科の先生を驚かせるのだ!

マスクを口元にあてがわれたよ。
来たな、これがわたしを眠らせようとするガスか。

「深呼吸してください」

20回くらい深呼吸しても眠らない!
絶対に!


すー…(1度目

ワハー ヤメテー
そりゃもうドラマの演出かな?くらいに
視界がグワン…と揺れたよ。
こんなベタな表現でくるんだっけ麻酔て?


すー…(2度目





マジでやられた。
絶対眠らないという かたい決意でもってしても
たった2度の深呼吸で完っっっ全に眠らされた。
そこからもう何も覚えていない。

麻酔科の先生…
アタイの負けさ…ふゅっ…


さっき2度目の深呼吸で
記憶が途切れたかと思ったら今度はイキナリ
「終わりましたよ。目ぇ開きます?」
って声かけられた。

…頑張って目ぇ 開いたら
わー!こういう場面見たことある!と思った。
ドラマで観る、目覚める人が最初に見る景色の描写。
こんなだよねいつもだいたい。
自分を取り囲む人たち。
だけど人影としか認識できない。
誰が誰なんて全然わからない。
なんてベタな描写なんだ。
ほんとにこんなふうに見えるものなのか。


そこでわたし気づいた。

あぁ、そういえば。
手術室へ入ってから1度もA先生に会うことなく
眠らされてしまったんだったなわたし。

ほんとはA先生に 手術始まる前に
「よろしくお願いします」てご挨拶したかった。
挨拶大事。

そして今、手術が終わりましたよと
声をかけられ目を開けてみたら
人影の数はさっきと変わってないみたい。

きっとA先生は手術を終えて
すぐにまた帰ってしまったんだな。
忙しい人だから…。
結局最後まで意識のあるうちに
会うことはなかったのか…。

わたし、力を振り絞って声を出した。


「A先生に…」

「くれぐれも…」

「ありがとう…」

「ございましたと…」

「お伝え…」

「くだ…」

「さい……ガクッ(果てた」

どうせならベタドラマの女優みたいに
儚げに言えたら美しかったんだろうけど
術後の声枯れと 舌がもつれてうまく喋れないことで
息も絶え絶えになっちゃって。
実際には取り組み後の関取インタビューみたいになってたなきっとわたしな。
でも、伝えるべきことは伝えた。
挨拶大事。


そしたらスタッフさんが答えてくれた。

「A先生 今ここにいますよー」

って 先生まだおったんかーい\(^o^)/
寝ぼけててゴメーン
見えてなかったー

直接言えたってことになるんだろうかさっきので。
でも関取インタビューがかなりの精一杯だったから、
もうそれっきり声を出すことも
目を開けることもできないわたしでした。
(死んだわけじゃないよ)

ストレッチャーに移されたのかな、
1度体が持ち上げられて
うぅっ...となったのは覚えてるけど、
もうそこからなーにも覚えてない。



気づいたらわたし病室に戻ってた。
隣のおばあちゃんがテレビ観てるようで
うふふ…はは…とか笑ってるのが聞こえる。

夫がわたしの写真を撮っているのが見えた。
何撮ってるんだ。
女優さんみたいだからって。
妻がカワイイか。
カワイイんだなコラ。

そうだ。
しめしめ。
驚かせてやろう。

「夫…夫…」

「え?なに?」

「わたしはもう…ダメだ…(ガクッ」

と言ってあげた。

あとは夫がわたしにすがりつき
「死ぬなー」と泣く。
そんな予定。

でもわたしね、麻酔が抜けきってないために
たったひと言のセリフすらも
うまく伝えられなかったようで、
こんな時しかできない一発渾身のフリも虚しく
「あぁ…」というぬるい反応だけで
夫との茶番劇は終わった。
なんということだろう。


「今何時?」

「11時45分」

手術室行ってから1時間ちょっとしか経ってないのだね。
なんて迅速な手術なんだろうかね。

そこからうつらうつら。

次、夫に
「ゴハン食べた?」って訊いたら
「食べたよ」と答えていたんだよね。
あれ?
いつ食べに行ってたんだろ?
手術終わったの11:30くらいで…。
おう?????
そして夫は何を食べたんだろか???
どこで???

コレを書いてて初めて気づいたんだけど、
そこら辺の記憶があまりにも曖昧だから
隣にいる夫に今訊いてみた。

「わたしあの後もしかして寝ちゃってた?」

「うん」

「その間に食べに行ってたの?」

「そう。」

「どこで食べたの?」

「病院の食堂」

「何食べたの?」

「カレーとうどん」

あ。2つも食べてたのですか。
絶食の妻が寝てる間に。

いやはや、術後ひと月以上たってから初めて知ったよ。
夫はずっとベッドサイドにいたと思ったけど
わたし夫がゴハン食べに行って帰ってくるまで
気づきもしないくらい眠っちゃってたんだな。
すごいな麻酔て。

死ぬ間際もこれくらい虚ろで
痛みもなく 幸せだったらいいのにな。



ようやく携帯がいじれるくらいに
意識がハッキリしてきたのは
午後1時を過ぎた頃だったろうか。

疲れて眠っちゃった夫と一緒に写真撮った。

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心配かけてごめんよ。
来てくれてありがとう。

もう癌のかたまりは、なくなったんだね。

ところでわたしのおっぱい。
どうなったんだろか。

つづく☆

手術当日(1)一番天国に近く

2016年11月28日

いよいよ手術当日。
手術は、10時半からの予定。

昨日の晩にゴハンを食べたら、
手術が終わるまで、何も食べちゃダメ。
朝6時までなら水分はとっていいことになってた。

同室のおばあちゃん2人の寝言とイビキに
時々目が覚めたけど困るほどではなく。
よく眠れたと思う。
でもわたし毎朝だいたい
5時か5時過ぎには起きる生活だから
今日も5時には目が覚めてた。


そして、そんな朝もはよから水分摂取ギリギリの時間まで
何度も何度も給湯室へ出かけてお茶を汲んできては飲み干す、を繰り返す。
ほんと忙しない。

なんでわたしこんなちっちゃいマグカップ持ってきちゃったんだろ。
すげー面倒くさい。
もっとカバチョとデカいやつもってくればよかったよ。

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そして何度も出たり入ったりしてたから
廊下側でよかったとつくづく思った。
窓側だったら部屋の中を横切らないとならないもんね。
同室の人たちに迷惑。

そんなこんなでお茶くみと水分摂取に夢中になってたら
早朝の院内探検する時間もなくなっちゃって。
食事の時間になってた。

この日 手術のわたしと、若いお嬢さんはモチロンゴハンなし。
消化器系の病気で検査があるお隣のおばあちゃんもゴハンなし。
この日ゴハンの時間にちゃんとゴハン出たのは
同室向いのおばあちゃん1人だけで、
お隣りのおばあちゃんが
「ねぇ 今何食べてんの?おいしい?」
とか訊いててさ。

お隣りのおばあちゃん、昨日から大好物らしいミカンを隠し持ってて
食べちゃダメって何度も言われてるのに
汁を吸うだけだから!とかすごい懇願と抵抗をしてたんだけど
置いといたら食べちゃうかもしれないってことで
最終的に看護師さんに没収されちゃっててね。
お腹もすいてたんだろうよね。

向いのおばあちゃん
「うーん。まぁ、大したものではないわよ。
病院食だからね。おいしいものではないわ。」
とか苦し紛れにカーテンの向こうで答えてたっけな。

早くゴハン食べれるようになるといいね、
お隣のおばあちゃん。


そんなわたしもゴハンが出ない代わりに輸液剤。
コレは病気で脱水してしまうニャンコのために
いつも点滴してあげてたのと同じやつだな。
とぼんやり。

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わたしのかわいいニャンコ。
2月に旅立った。
梅の花が咲いてた。

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今わたしの体には癌があって、
早期だけど、わたし歴だけで言ったら今が一番大きい癌。
切除される直前の今がわたし一番天国に近くて、
旅立ったニャンコに一番近いということだけが、
病気であっても嬉しいことだったな。
ニャンコを亡くしてからはわたしどうなろとも怖くないです。
ただ、まだ面倒みるコたちが2人いるから。
まだ「その時」じゃない。
もうしばらく元気でいなくちゃ。
もうちょっと待っててね。


そうこうしてたら
お嬢さんが、時間になったよって
歩いて手術室に向かうのが聞こえた。
お嬢さん 頑張れ!
手術きっとうまくいくよ!



10時頃、夫が付き添いに来てくれたよ。
わたしがいなくて、自宅で留守番の白いニャンコが寂しがっているという。

白もシマシマも夫の連れ子たちではあるけど、
途中からやってきたわたしを母ちゃんと認めてくれた。
今やすっかり母ちゃんにベタベタになってしまったからね。
明日には帰りますよ。
かわいいわが子たちよ。

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少ししたら、さっき手術をしていたお嬢さんが帰ってきた。
車椅子で戻ってきたっぽい。
でもめっちゃ咳込んでる!
手術終えると一時的に喉つぶれるアレだろうかね。
よく頑張ったね、お嬢さん!
お疲れさま!

次はいよいよわたしの番だよ。
看護師さんが迎えにきてくれました。



…というワケで
すごく中途半端だけど今日はここまでにしておきます。
いつも遅々として進まないのが申しわけないけど
その時どんなことがあったのか
何を感じたのか覚えておきたいから
自分のためにいろいろ書いておくことにします。

コレを投稿している現在。
2017年になりましたね。
今年もどうぞよろしくお願いします!

これからまた1年
みなさんの健康とハッピーを祈ります
ヽ(・∀・)ノ